blog13日目 捨てて得る物
オ◯禁79日目
マキシマリストの脱却に向けて部屋の不用品を整理しているが、かなり骨が折れる。
要不要の取捨選択、一つ一つは大した事はないのだろう。
だが、物が溢れる汚部屋の中でその取捨選択をするだけでもかなりの労力だ。
何せ物の必要性を考えるのだ、全て要らない。ならば思考を停止して作業出来るのだろう。
考えて欲しい、一つ一つにジャッジを下すとなると紙の一枚に至るまでその判定を下すその判断の回数たるや膨大だ。
その膨大な取捨選択に使用される思考のエネルギー消費は半端ではない。
人は無意識に楽を求める、汚部屋になってしまった部屋を片付ける。無意識にそこで消費されるエネルギーを分かっているのかもしれない。
しかし、楽をする為に放置した結果、これもまた無意識に所有している物に圧迫される。
捨てると楽になる、のはこの不要な物に圧迫される事が無くなるからなのだろう。
過程は汚部屋のままでも、汚部屋から脱却にしろ使われるエネルギーは大きい。
時間もエネルギーも有限だ。
なら、今後楽になる為に物を捨てようと思った今日。
ミニマリストの人は、この余分なエネルギーを他に向けるからこそ色々出来るのでは無いかと感じる。
選ぶ、捨てる、増やさない。これは非ミニマリストでも出来る、将来を考えればやはり捨てる一時の疲労よりも多くの思考や行動にエネルギーを回すのが有益だ。